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大山詣り:信仰と観光が融合した江戸の旅ブームの象徴

大山詣り:信仰と観光が融合した江戸の旅ブームの象徴

大山詣り

大山詣り(おおやままいり)は、江戸時代に広まった庶民の信仰行動の一つで、現在の神奈川県伊勢原市にある「大山阿夫利神社」を参拝するための旅です。特に農民や商人の間で人気を博し、やがて観光的要素も加わり、江戸時代を代表する大衆文化となりました。

この記事では、大山詣りの歴史やその魅力、参詣者が体験した内容について詳しくご紹介します。

大山詣りの起源と背景

大山信仰の始まり

大山は、標高1,252メートルの山で、古くから「雨を司る山」として信仰されてきました。この信仰の中心である大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、山頂にある奥社と中腹にある下社からなります。特に雨乞いや五穀豊穣を祈願するための場所として、農民を中心に信仰を集めていました。

「阿夫利」という名前は、山頂から流れる清らかな水を指し、その水が農業や生活に欠かせないものであったことが、信仰の理由の一つでした。

江戸時代に広まった大山詣り

庶民による信仰の旅

江戸時代になると、参詣文化が庶民にも広がり、大山詣りもその一環として人気を集めました。当時の大山詣りは、信仰のためだけでなく、庶民の「娯楽の旅」となり、「富士詣り」「お伊勢参り」と並ぶ人気の旅先となりました。

「講」の組織化

大山詣りは、個人ではなく「講」と呼ばれる信仰グループによって行われることが一般的でした。講は地域ごとに組織され、参加者はお金を出し合って旅費を工面しました。これにより、大山詣りは比較的費用を抑えて参加できるイベントとなり、庶民にとって身近なものになったのです。

大山詣りの行程と体験

参詣のルート

江戸から大山までの旅程は、おおむね以下のようなものでした。

  • 江戸出発
    江戸の町から徒歩や駕籠で出発します。旅の道中は他の参詣者や宿場町での交流が楽しみの一つでした。
  • 伊勢原宿に到着
    大山詣りの玄関口である伊勢原宿で一泊します。この宿場は参詣者で賑わい、多くの土産物店や茶屋が並んでいました。
  • こま参道を登る
    翌朝、大山の中腹に向けて「こま参道」を歩いて登ります。この参道には、現在も続く宿坊や土産物屋が立ち並びます。
  • 大山阿夫利神社に参拝
    中腹の下社に到着後、参拝を行います。希望者はさらに山頂に向かい、奥社にも参拝しました。

食事と楽しみ

参詣者の楽しみの一つが、山中での食事でした。特に「大山豆腐」を使った料理が評判で、豆腐田楽や湯豆腐が供されました。大山の修験道や仏教信仰に基づく精進料理の一環として、肉や魚を使わない豆腐が貴重なたんぱく源とされました。修行者や巡礼者に提供される食事に豆腐が用いられ、栄養価が高く消化も良い豆腐が重宝されたのです。また、参道沿いの茶屋では甘味やお酒も振る舞われ、参詣者たちは旅の疲れを癒しました。

大山詣りの特徴と魅力

霊験あらたかな山

大山阿夫利神社は、雨乞い祈願や五穀豊穣だけでなく、家内安全や商売繁盛、厄除けにもご利益があるとされ、多くの人々が訪れました。特に、雨を呼ぶ山として知られることから、水を大切にする農民たちにとっては重要な参拝先でした。

江戸庶民のレジャー

信仰の旅である一方、旅自体が一種のレジャーとして楽しまれるようになりました。参詣道中での交流や食事、大山の自然の美しさを堪能することが、大山詣りのもう一つの魅力でした。

現代の大山詣り

現在では、大山詣りは当時の形を少し変えながらも続いています。特に秋の紅葉シーズンや、新年の初詣には多くの人々が訪れます。

アクセスの向上

伊勢原駅からバスで約30分の大山ケーブルカーを利用することで、登山がより手軽になりました。これにより、家族連れや高齢者でも気軽に訪れることができるようになっています。

イベントと地域振興

毎年秋には「大山とうふまつり」が開催され、大山詣りと結びついた豆腐文化が再び注目されています。また、宿坊の宿泊体験や、参道散策を含めた観光プランも人気です。

まとめ

大山詣りは、信仰と娯楽が一体となった江戸時代の庶民文化の象徴です。大山阿夫利神社への参拝を目的にした旅は、信仰心を満たすだけでなく、自然や食文化、道中の人々との交流を楽しむ旅でもありました。

現代でも大山詣りの伝統は生き続け、観光と地域文化を支える重要な役割を果たしています。ぜひ一度、歴史と自然が融合した大山詣りを体験してみてください。

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